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日々どんどこどこどんTumblr.: ドラマ「愛と悲しみの紫煙」

dondocodocodon:

ジェーティ(以下JT)「よ、久しぶりだな。探したぜ。」

エクスモーカ(以下ES)「あんた!まさかこんなとこまで・・・何しにきたの。」

JT「つれない事言うなよ。何年もあんなに愛し合った仲じゃないか。」

ES「昔の話はやめて。あんたとはもう縁を切ったのよ。」

JT「なんだ、みんなお前の昔の事知らないのか。おーいご近所のみな・・・」

ES「やめて!!」

JT「はは。冗談だよ。すっかり真面目ぶりやがって。」

ES「さっさと帰って!二度と顔を見せないで!」

JT「こんなの知ってるか?」

ES「・・・!」

F 社の法人向けノートパソコンを触ることが多いんだけど、ヤバいと思う。

CD ドライブの左右の位置が年単位でコロコロ変る。

別に家庭用のパソコンだったら良いんだけど、法人向けだと右と左が統一されてないのは、すごい面倒だと思う。管理なんかする時に CD ドライブをいちいち探さないといけない。

CD ドライブの左右の位置すら統一できないんだから、当然社内もグチャグチャで頭イカれてる奴らが大量にいて、かなりヤバい。絶対に株とか書いたくない。

富士通のことを F 社とか書いたけど、これはとても良い配慮だったと思う。こういう風にインターネット発言に気を使っていきたい。

ヤバいメーカーあると思う - コトリコ (via messanacaravan)

御社の電カルもヤバいよマジ

(via treyfla)

(shimamura-kunから)

母が生前、犬の散歩をするときに愛用していたパーカーがあって、
それだけは焼けなくて手元に残していた。

さっきそれを仏間に置いといてたら、
何時の間にか犬がそれを広げてその中で寝てた。

寝てる姿が可愛くて私も添い寝してみた。
そしたらそのパーカーから母の匂いがするの。
体臭って服につくじゃん。人の服借りたりするとその人の匂いするじゃん。それと同じ。

何故か私が泣いた。
犬は見てた。

泣いてる私の顔を尻尾を振って舐める犬を見て、
私はなんとか理解させなければと思った。
何故だろうか。多分かわいそうだったからだろうか。

私は母の骨壷にてを伸ばした。
四十九日まだなので墓に入れてない。

骨壷のふたを開くと母の遺骨が目に飛び込んできた。
少しぞっとした。
この時犬は興味しんしんで覗き込んでた。においもかいでた。
私はずっと「ママだよ」「これがママだよ」って何度も言った。

犬はしばらく骨壷と遺影をいったりきたりしてた。
それからずっと遺骨のにおいをかいでいた。

でもある瞬間物凄い勢いでバッと後ろに飛びのいた。
凄い勢いで遺影と遺骨を何回も見直してた。
この一連の動作がすごく人間くさかった。犬なのに物凄い人間くさい。

多分この人間くさい瞬間が、死を理解した瞬間だったのかもしれない。
犬なのに凄い人間のような動作だった。そこだけ印象に物凄い残ってる。


それから急に骨壷の入ってる、あの白い箱を引っかき始めた。
ボロボロになっちゃ困るから蓋をしてもとの位置に戻そうとしたら
噛み付かれた。怒ったら逆に唸られた。
唖然としてたらまたガリガリやられた。
今度はなんとか元のとこに戻した

それからちょっとその場を離れていたんだけど、戻ってきたら犬が仏間の隅に座ってた。
顔を壁側にむけてて、私からは背中しか見えない状態。

様子を見に近づいたら、
犬が泣いてた

インフルエンザが治ったかどうかを“確認”するための受診は非合理的

 では、インフルエンザが治ったかどうかを迅速検査で確認する意味があるでしょうか?この場合、受診する患者が知りたいことは「家族や同僚、クラスメートなど周りの人にインフルエンザをうつす可能性が残っているかどうか」だと思います。残念ながら、迅速検査が「陰性」であった時に周りの人への感染性がないと言ってよいかどうかは、十分には分かっておりません。しかしながら、そもそもインフルエンザの患者でも迅速検査がしばしば陰性となることを考えると、周りへの感染性を確認する目的でこの検査を用いることは妥当ではないと考えます。

 新型インフルエンザの流行時にもこのような誤った受診がしばしばみられたために文部科学省は「各都道府県・指定都市教育委員会等宛 新型インフルエンザに関する対応について(第17報)」でこのような理由での受診を勧めないように通達を出しています。

 近年、冬に軽いカゼ症状のある患者が、インフルエンザかどうかを確認するために病院を受診する(あるいは学校や雇用主がそれを推奨する)という場面に、少なからず遭遇します。しかしこれは、ここまで述べましたように、合理的ではありません。

 ――欧米のほうが、芸術活動をする環境としては、日本より優れている、と。

 「そうは言いませんが、欧米には、美術館の学芸員らの人材が豊富で、作品をきちんと評価し、価値付けできるメソッドがある。審美眼を備えて信頼するに足るアート市場もある。意地悪なジャーナリズムもよく勉強していて対抗しがいがある。一方、日本は美術館はたくさんあるだけ。ジャーナリズムは印象批評に偏っており、マーケットを蔑視している。オークション会社にしても、贋作(がんさく)をカタログに載せていたりする」

 「日本の場合、教育に目を向けても、美術大学は無根拠な自由ばかりを尊重して、学生に何らの方向性も示さない。芸術には鍛錬や修業が必要なのに、その指導もできない。少子化や国立大学の法人化で、学生がお客さんになってしまい、教師は学生に迎合している。お陰で、あいさつさえまともにできず、独りよがりの稚拙な作品しかつくれない学生ばかりが世に送り出される。先鋭的なものは何も生まれてこない。だから、世界に出ていって通用する芸術家が日本にはほとんどいないんです」

 ――それでも、日本で独自に発展を遂げたものもあるでしょう。たとえば、マンガやアニメとか。

 「第2次世界大戦でアメリカに原爆を投下され敗戦した日本は、国家としての主体性を持たないまま、アメリカ依存のもとで、平和な日常を送ることができた。そんな状況の中から生まれてきたのがサブカルチャーやオタク文化なんです。あだ花のような文化です」

 「あだ花を大輪に育てるには仕組みが必要なのに、そこへの興味も無いし、労力も惜しむ。僕は世界でどうやってトップを取るかに集中しています。日本人はゴルフでもテニスでも世界一を取れない。なぜか。国内でそこそこ楽してやっていけるから、安心しちゃっている。地方自治体が街おこしにアートを利用するから、アーティストも結構楽にやっていけるので、海外に目が向かないし、無根拠にもの作りを推奨しすぎる。ぬるい」

 私事になりますが、一昨年末に母親が入院し、半年あまりの闘病の後、介護施設に入所しています。そのため、それまでほとんど自分のこととして意識してこなかった医療・介護の制度とじかに向き合うことになりました。

 印象深かったのは、医療の充実ぶりです。もちろん地域差などもあり、一部では「医療崩壊」などと言われる実情もある中で、一概に言えることではないのでしょうが、母が入院した公立の病院は、実家とは別世界のような、温度管理なども行き届いた清潔な病室で、入院当初の救急病棟では二十四時間心電図などのデータがとられ、必要と思われる治療手段が矢継ぎ早に施されました。そして、危険な状態を脱することができました。

 その結果として、入院一ヶ月後に来た請求書の一番上には七桁の金額が記されており、目を疑いましたが、そのほとんどが保険でカバーされ、末尾に記された実際の支払額は、何とか支払可能な、十万円に満たない額でした。私たちのような資産のない家の者でも最先端の医療の恩恵に浴すことができる保険制度のありがたさ、すばらしさを身にしみて感じました。

 その一方で、これから高齢者が増えるばかりであることを考えると、このような現状は果たして維持可能なのか、強い危惧を覚えたのも確かです。医療を支えているのは、どのような患者に対しても最善を尽くそうとする医師・看護師など医療スタッフの皆さんの志ですが、その裏打ちとなっているのは、医療費が保険でカバーされるという事実にほかなりません。その前提が崩れてしまえば、患者の資力を確認しなければ費用のかかる医療行為は実行できないことになります。
病院の壁になぜしっくいがよくないか
[しっくいには]気孔が多数あり、病人の発散物をそこから吸い込んでしまうのである。しっくい壁が出来上がったばかりだとすると、病室中の空気をしっくいが掃除してしまうようなかたちになる。が、やがてその壁は不潔物の飽和状態に達する。時には細かい植物がその上に現れるが、かき落として顕微鏡でそれと認めうるし、化学的にも検出できる植物である。病室の壁と天井がここまで汚染されると、そこにはいわゆる病院病が非常に発生しやすい。

ナイチンゲール『病院覚書き』 - 身体・病気・医療の社会史の研究者による研究日誌 - Yahoo!ブログ

『病院覚書き』
ナイチンゲールの主要な著作の一つ『病院覚書き』を読む。日本語の三巻本の著作集には翻訳されているのだけれども、これは抄訳であることに加えて、翻訳されている部分の重要な図版も省略されているので、あまり使えない。オリジナルは、Googlebooks で問題なく手に入る。

(via ginzuna)

(shimamura-kunから)

開高健の言葉を思い出す。


「一旦知ってしまえば、知らなかった時には戻れない。
本にせよ、スーツにせよ、シガーにせよ、酒にせよ、
別に知らなくても生きてはいける。
でも知ってしまえば、それなしの人生など耐え難くなる。
つまり知識や経験は人生に悲しみも もたらす。
より多くを、より良きものを、よりスリリングなことを
知ってしまったがために、当たり前の日常に感動できなくなる。
それでも、知らない平穏よりも知る悲しみのある人生の方が高級だ。」

村田:面接に来ている人に、「うちの会社落ちたらどうするの?」という質問をよくするんです。そうすると、「来年もう一回来ます」という人がたまにいるんです。そこで更に、「じゃあ、あなたは何をやりたいの?」と聞くと、「アニメーターになりたい」ってその人は言うんですね。アニメーターになりたいんだったら、うちには落ちたんだから、とりあえず別の会社でアニメーターになったらいいじゃん、って思うんですけれど。ガイナックスに入ることが目的になっている人がたまにいるんですが、そうじゃないでしょ。自分の好きだったアニメの会社に入りたいとか、好きなアニメーターのいるところからスタートしたい気持ちは分かるんだけど。とりあえずアニメーターになることが大切でしょ。で、そこからがスタートでしょ、って思います。
どうしてもガイナックスでなきゃダメなんですという人は逆に断っちゃいますね。

今石:そこをゴールにされてもしょうがないですよね。

クイズ番組の参加者が「拷問者」になるという心理学的実験が、フランスのテレビで行われた。番組参加者たちは、男性が叫び出すまで電気ショックを与え、さらに死んだようにぐったりするまでくり返し電気ショックを与え続けた。

 このテレビ番組「死のゲーム(The Game of Death)」は、ごくふつうのクイズ番組と同じ体裁を整えている。歓声を上げる観客とグラマラスな有名女性司会者が、スタジオのきらびやかな照明の下に参加者を招待する。

 実はこの番組は、テレビが人びとをどれほど残虐にさせることができるかを調べる心理学の実験として行われたもの。クイズ挑戦者たちにはそのことが知らされず、実験の結果はナチス・ドイツの残虐さと思わず比較するようなものとなった。

 このドキュメンタリー番組を制作したクリストフ・ニック(Christophe Nick)氏は、番組司会者の加虐的な命令に「番組参加者の81%が従ったことに驚かされた」と述べた。番組は、17日に国営フランス2(France 2)チャンネルで放送される。

「(参加者は)命令に背く準備ができていなかった」とニック氏は解説する。「彼らはやりたくなかったし、権威者に止めるべきだと訴えようとした。けれどもそれができなかった」

■クイズ番組として募集

 ニック氏と心理学者らは、志願者80人を集め、新番組のパイロット版(試作版)への出演と説明。番組の内容は、相手「プレイヤー」に質問をぶつけ、相手が質問に正解できなかったときに最高460ボルトの電流を流して罰を与えるというものだった。

 実はこの相手方の男性は俳優で演技をしていたのだが、観客と参加者は知らされておらず、本物の電気ショックだと信じていた。参加者たちは気が進まない様子だったが、司会者の命令と、スタジオの観客の「処罰せよ!」の合唱に従った。相手方の男性が「放してくれ!」と叫び、また、死んだようにぐったりしても、参加者たちは電気ショックを加えるのを止めなかった。

 ニック氏によると、スタジオを立ち去ったのは80人のうち16人だけで、参加者の約80%は、最大460ボルトの電流で男性に電気ショックを与え続けたという。

■実験の意義は?

 番組後のインタビューで、ある参加者は、祖父母がナチスに迫害されたユダヤ人であるにもかかわらず、自分は番組で拷問行為を続けたと語った。ソフィー(Sophie)さんは、「少女のころからずっと、どうしてナチスはあんなことをしたんだろうと自問自答してきた。どうしてあんな命令に従えるのだろう?と。でもわたし自身がそんな命令に従っていた」と語った。

 また、別の参加者は「相手のことは心配だった」と述べた上で、「けれども同時に、番組を台無しにするのが怖かった」と語った。

 この実験は、米エール大(Yale University)で1960年代に行われた悪名高い実験をモデルに実施された。その実験では、従順な市民が虐殺に関与する過程の分析に、同様の手法が用いられている。

 この番組参加者の心理を操作するような参加者の取り扱いに対しては、懐疑的な意見も表明されている。集団虐殺や全体主義を研究する心理学者で歴史家のジャック・セメラン(Jacques Semelin)氏は、司会者の指示に従うことを義務づける契約書に参加者たちが署名させられていたことを指摘した。また、従順さだけでなく、観客やカメラなどさまざまな要素が影響していると述べた。

 一方、番組制作者のねらいは、テレビによる人心操作の威力を指摘することだったという。ニック氏は、「テレビが権力を乱用することを選んでしまったら、テレビは誰に対してもなんだってすることができる。絶対的に恐ろしい権力なんだ」と語った。

日々どんどこどこどんTumblr.: ドラマ「愛と悲しみの紫煙」

dondocodocodon:

ジェーティ(以下JT)「よ、久しぶりだな。探したぜ。」

エクスモーカ(以下ES)「あんた!まさかこんなとこまで・・・何しにきたの。」

JT「つれない事言うなよ。何年もあんなに愛し合った仲じゃないか。」

ES「昔の話はやめて。あんたとはもう縁を切ったのよ。」

JT「なんだ、みんなお前の昔の事知らないのか。おーいご近所のみな・・・」

ES「やめて!!」

JT「はは。冗談だよ。すっかり真面目ぶりやがって。」

ES「さっさと帰って!二度と顔を見せないで!」

JT「こんなの知ってるか?」

ES「・・・!」

F 社の法人向けノートパソコンを触ることが多いんだけど、ヤバいと思う。

CD ドライブの左右の位置が年単位でコロコロ変る。

別に家庭用のパソコンだったら良いんだけど、法人向けだと右と左が統一されてないのは、すごい面倒だと思う。管理なんかする時に CD ドライブをいちいち探さないといけない。

CD ドライブの左右の位置すら統一できないんだから、当然社内もグチャグチャで頭イカれてる奴らが大量にいて、かなりヤバい。絶対に株とか書いたくない。

富士通のことを F 社とか書いたけど、これはとても良い配慮だったと思う。こういう風にインターネット発言に気を使っていきたい。

ヤバいメーカーあると思う - コトリコ (via messanacaravan)

御社の電カルもヤバいよマジ

(via treyfla)

(shimamura-kunから)

母が生前、犬の散歩をするときに愛用していたパーカーがあって、
それだけは焼けなくて手元に残していた。

さっきそれを仏間に置いといてたら、
何時の間にか犬がそれを広げてその中で寝てた。

寝てる姿が可愛くて私も添い寝してみた。
そしたらそのパーカーから母の匂いがするの。
体臭って服につくじゃん。人の服借りたりするとその人の匂いするじゃん。それと同じ。

何故か私が泣いた。
犬は見てた。

泣いてる私の顔を尻尾を振って舐める犬を見て、
私はなんとか理解させなければと思った。
何故だろうか。多分かわいそうだったからだろうか。

私は母の骨壷にてを伸ばした。
四十九日まだなので墓に入れてない。

骨壷のふたを開くと母の遺骨が目に飛び込んできた。
少しぞっとした。
この時犬は興味しんしんで覗き込んでた。においもかいでた。
私はずっと「ママだよ」「これがママだよ」って何度も言った。

犬はしばらく骨壷と遺影をいったりきたりしてた。
それからずっと遺骨のにおいをかいでいた。

でもある瞬間物凄い勢いでバッと後ろに飛びのいた。
凄い勢いで遺影と遺骨を何回も見直してた。
この一連の動作がすごく人間くさかった。犬なのに物凄い人間くさい。

多分この人間くさい瞬間が、死を理解した瞬間だったのかもしれない。
犬なのに凄い人間のような動作だった。そこだけ印象に物凄い残ってる。


それから急に骨壷の入ってる、あの白い箱を引っかき始めた。
ボロボロになっちゃ困るから蓋をしてもとの位置に戻そうとしたら
噛み付かれた。怒ったら逆に唸られた。
唖然としてたらまたガリガリやられた。
今度はなんとか元のとこに戻した

それからちょっとその場を離れていたんだけど、戻ってきたら犬が仏間の隅に座ってた。
顔を壁側にむけてて、私からは背中しか見えない状態。

様子を見に近づいたら、
犬が泣いてた

インフルエンザが治ったかどうかを“確認”するための受診は非合理的

 では、インフルエンザが治ったかどうかを迅速検査で確認する意味があるでしょうか?この場合、受診する患者が知りたいことは「家族や同僚、クラスメートなど周りの人にインフルエンザをうつす可能性が残っているかどうか」だと思います。残念ながら、迅速検査が「陰性」であった時に周りの人への感染性がないと言ってよいかどうかは、十分には分かっておりません。しかしながら、そもそもインフルエンザの患者でも迅速検査がしばしば陰性となることを考えると、周りへの感染性を確認する目的でこの検査を用いることは妥当ではないと考えます。

 新型インフルエンザの流行時にもこのような誤った受診がしばしばみられたために文部科学省は「各都道府県・指定都市教育委員会等宛 新型インフルエンザに関する対応について(第17報)」でこのような理由での受診を勧めないように通達を出しています。

 近年、冬に軽いカゼ症状のある患者が、インフルエンザかどうかを確認するために病院を受診する(あるいは学校や雇用主がそれを推奨する)という場面に、少なからず遭遇します。しかしこれは、ここまで述べましたように、合理的ではありません。

 ――欧米のほうが、芸術活動をする環境としては、日本より優れている、と。

 「そうは言いませんが、欧米には、美術館の学芸員らの人材が豊富で、作品をきちんと評価し、価値付けできるメソッドがある。審美眼を備えて信頼するに足るアート市場もある。意地悪なジャーナリズムもよく勉強していて対抗しがいがある。一方、日本は美術館はたくさんあるだけ。ジャーナリズムは印象批評に偏っており、マーケットを蔑視している。オークション会社にしても、贋作(がんさく)をカタログに載せていたりする」

 「日本の場合、教育に目を向けても、美術大学は無根拠な自由ばかりを尊重して、学生に何らの方向性も示さない。芸術には鍛錬や修業が必要なのに、その指導もできない。少子化や国立大学の法人化で、学生がお客さんになってしまい、教師は学生に迎合している。お陰で、あいさつさえまともにできず、独りよがりの稚拙な作品しかつくれない学生ばかりが世に送り出される。先鋭的なものは何も生まれてこない。だから、世界に出ていって通用する芸術家が日本にはほとんどいないんです」

 ――それでも、日本で独自に発展を遂げたものもあるでしょう。たとえば、マンガやアニメとか。

 「第2次世界大戦でアメリカに原爆を投下され敗戦した日本は、国家としての主体性を持たないまま、アメリカ依存のもとで、平和な日常を送ることができた。そんな状況の中から生まれてきたのがサブカルチャーやオタク文化なんです。あだ花のような文化です」

 「あだ花を大輪に育てるには仕組みが必要なのに、そこへの興味も無いし、労力も惜しむ。僕は世界でどうやってトップを取るかに集中しています。日本人はゴルフでもテニスでも世界一を取れない。なぜか。国内でそこそこ楽してやっていけるから、安心しちゃっている。地方自治体が街おこしにアートを利用するから、アーティストも結構楽にやっていけるので、海外に目が向かないし、無根拠にもの作りを推奨しすぎる。ぬるい」

 私事になりますが、一昨年末に母親が入院し、半年あまりの闘病の後、介護施設に入所しています。そのため、それまでほとんど自分のこととして意識してこなかった医療・介護の制度とじかに向き合うことになりました。

 印象深かったのは、医療の充実ぶりです。もちろん地域差などもあり、一部では「医療崩壊」などと言われる実情もある中で、一概に言えることではないのでしょうが、母が入院した公立の病院は、実家とは別世界のような、温度管理なども行き届いた清潔な病室で、入院当初の救急病棟では二十四時間心電図などのデータがとられ、必要と思われる治療手段が矢継ぎ早に施されました。そして、危険な状態を脱することができました。

 その結果として、入院一ヶ月後に来た請求書の一番上には七桁の金額が記されており、目を疑いましたが、そのほとんどが保険でカバーされ、末尾に記された実際の支払額は、何とか支払可能な、十万円に満たない額でした。私たちのような資産のない家の者でも最先端の医療の恩恵に浴すことができる保険制度のありがたさ、すばらしさを身にしみて感じました。

 その一方で、これから高齢者が増えるばかりであることを考えると、このような現状は果たして維持可能なのか、強い危惧を覚えたのも確かです。医療を支えているのは、どのような患者に対しても最善を尽くそうとする医師・看護師など医療スタッフの皆さんの志ですが、その裏打ちとなっているのは、医療費が保険でカバーされるという事実にほかなりません。その前提が崩れてしまえば、患者の資力を確認しなければ費用のかかる医療行為は実行できないことになります。
病院の壁になぜしっくいがよくないか
[しっくいには]気孔が多数あり、病人の発散物をそこから吸い込んでしまうのである。しっくい壁が出来上がったばかりだとすると、病室中の空気をしっくいが掃除してしまうようなかたちになる。が、やがてその壁は不潔物の飽和状態に達する。時には細かい植物がその上に現れるが、かき落として顕微鏡でそれと認めうるし、化学的にも検出できる植物である。病室の壁と天井がここまで汚染されると、そこにはいわゆる病院病が非常に発生しやすい。

ナイチンゲール『病院覚書き』 - 身体・病気・医療の社会史の研究者による研究日誌 - Yahoo!ブログ

『病院覚書き』
ナイチンゲールの主要な著作の一つ『病院覚書き』を読む。日本語の三巻本の著作集には翻訳されているのだけれども、これは抄訳であることに加えて、翻訳されている部分の重要な図版も省略されているので、あまり使えない。オリジナルは、Googlebooks で問題なく手に入る。

(via ginzuna)

(shimamura-kunから)

開高健の言葉を思い出す。


「一旦知ってしまえば、知らなかった時には戻れない。
本にせよ、スーツにせよ、シガーにせよ、酒にせよ、
別に知らなくても生きてはいける。
でも知ってしまえば、それなしの人生など耐え難くなる。
つまり知識や経験は人生に悲しみも もたらす。
より多くを、より良きものを、よりスリリングなことを
知ってしまったがために、当たり前の日常に感動できなくなる。
それでも、知らない平穏よりも知る悲しみのある人生の方が高級だ。」

村田:面接に来ている人に、「うちの会社落ちたらどうするの?」という質問をよくするんです。そうすると、「来年もう一回来ます」という人がたまにいるんです。そこで更に、「じゃあ、あなたは何をやりたいの?」と聞くと、「アニメーターになりたい」ってその人は言うんですね。アニメーターになりたいんだったら、うちには落ちたんだから、とりあえず別の会社でアニメーターになったらいいじゃん、って思うんですけれど。ガイナックスに入ることが目的になっている人がたまにいるんですが、そうじゃないでしょ。自分の好きだったアニメの会社に入りたいとか、好きなアニメーターのいるところからスタートしたい気持ちは分かるんだけど。とりあえずアニメーターになることが大切でしょ。で、そこからがスタートでしょ、って思います。
どうしてもガイナックスでなきゃダメなんですという人は逆に断っちゃいますね。

今石:そこをゴールにされてもしょうがないですよね。

クイズ番組の参加者が「拷問者」になるという心理学的実験が、フランスのテレビで行われた。番組参加者たちは、男性が叫び出すまで電気ショックを与え、さらに死んだようにぐったりするまでくり返し電気ショックを与え続けた。

 このテレビ番組「死のゲーム(The Game of Death)」は、ごくふつうのクイズ番組と同じ体裁を整えている。歓声を上げる観客とグラマラスな有名女性司会者が、スタジオのきらびやかな照明の下に参加者を招待する。

 実はこの番組は、テレビが人びとをどれほど残虐にさせることができるかを調べる心理学の実験として行われたもの。クイズ挑戦者たちにはそのことが知らされず、実験の結果はナチス・ドイツの残虐さと思わず比較するようなものとなった。

 このドキュメンタリー番組を制作したクリストフ・ニック(Christophe Nick)氏は、番組司会者の加虐的な命令に「番組参加者の81%が従ったことに驚かされた」と述べた。番組は、17日に国営フランス2(France 2)チャンネルで放送される。

「(参加者は)命令に背く準備ができていなかった」とニック氏は解説する。「彼らはやりたくなかったし、権威者に止めるべきだと訴えようとした。けれどもそれができなかった」

■クイズ番組として募集

 ニック氏と心理学者らは、志願者80人を集め、新番組のパイロット版(試作版)への出演と説明。番組の内容は、相手「プレイヤー」に質問をぶつけ、相手が質問に正解できなかったときに最高460ボルトの電流を流して罰を与えるというものだった。

 実はこの相手方の男性は俳優で演技をしていたのだが、観客と参加者は知らされておらず、本物の電気ショックだと信じていた。参加者たちは気が進まない様子だったが、司会者の命令と、スタジオの観客の「処罰せよ!」の合唱に従った。相手方の男性が「放してくれ!」と叫び、また、死んだようにぐったりしても、参加者たちは電気ショックを加えるのを止めなかった。

 ニック氏によると、スタジオを立ち去ったのは80人のうち16人だけで、参加者の約80%は、最大460ボルトの電流で男性に電気ショックを与え続けたという。

■実験の意義は?

 番組後のインタビューで、ある参加者は、祖父母がナチスに迫害されたユダヤ人であるにもかかわらず、自分は番組で拷問行為を続けたと語った。ソフィー(Sophie)さんは、「少女のころからずっと、どうしてナチスはあんなことをしたんだろうと自問自答してきた。どうしてあんな命令に従えるのだろう?と。でもわたし自身がそんな命令に従っていた」と語った。

 また、別の参加者は「相手のことは心配だった」と述べた上で、「けれども同時に、番組を台無しにするのが怖かった」と語った。

 この実験は、米エール大(Yale University)で1960年代に行われた悪名高い実験をモデルに実施された。その実験では、従順な市民が虐殺に関与する過程の分析に、同様の手法が用いられている。

 この番組参加者の心理を操作するような参加者の取り扱いに対しては、懐疑的な意見も表明されている。集団虐殺や全体主義を研究する心理学者で歴史家のジャック・セメラン(Jacques Semelin)氏は、司会者の指示に従うことを義務づける契約書に参加者たちが署名させられていたことを指摘した。また、従順さだけでなく、観客やカメラなどさまざまな要素が影響していると述べた。

 一方、番組制作者のねらいは、テレビによる人心操作の威力を指摘することだったという。ニック氏は、「テレビが権力を乱用することを選んでしまったら、テレビは誰に対してもなんだってすることができる。絶対的に恐ろしい権力なんだ」と語った。
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F 社の法人向けノートパソコンを触ることが多いんだけど、ヤバいと思う。

CD ドライブの左右の位置が年単位でコロコロ変る。

別に家庭用のパソコンだったら良いんだけど、法人向けだと右と左が統一されてないのは、すごい面倒だと思う。管理なんかする時に CD ドライブをいちいち探さないといけない。

CD ドライブの左右の位置すら統一できないんだから、当然社内もグチャグチャで頭イカれてる奴らが大量にいて、かなりヤバい。絶対に株とか書いたくない。

富士通のことを F 社とか書いたけど、これはとても良い配慮だったと思う。こういう風にインターネット発言に気を使っていきたい。

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母が生前、犬の散歩をするときに愛用していたパーカーがあって、
それだけは焼けなくて手元に残していた。

さっきそれを仏間に置いといてたら、
何時の間にか犬がそれを広げてその中で寝てた。

寝てる姿が可愛くて私も添い寝してみた。
そしたらそのパーカーから母の匂いがするの。
体臭って服につくじゃん。人の服借りたりするとその人の匂いするじゃん。それと同じ。

何故か私が泣いた。
犬は見てた。

泣いてる私の顔を尻尾を振って舐める犬を見て、
私はなんとか理解させなければと思った。
何故だろうか。多分かわいそうだったからだろうか。

私は母の骨壷にてを伸ばした。
四十九日まだなので墓に入れてない。

骨壷のふたを開くと母の遺骨が目に飛び込んできた。
少しぞっとした。
この時犬は興味しんしんで覗き込んでた。においもかいでた。
私はずっと「ママだよ」「これがママだよ」って何度も言った。

犬はしばらく骨壷と遺影をいったりきたりしてた。
それからずっと遺骨のにおいをかいでいた。

でもある瞬間物凄い勢いでバッと後ろに飛びのいた。
凄い勢いで遺影と遺骨を何回も見直してた。
この一連の動作がすごく人間くさかった。犬なのに物凄い人間くさい。

多分この人間くさい瞬間が、死を理解した瞬間だったのかもしれない。
犬なのに凄い人間のような動作だった。そこだけ印象に物凄い残ってる。


それから急に骨壷の入ってる、あの白い箱を引っかき始めた。
ボロボロになっちゃ困るから蓋をしてもとの位置に戻そうとしたら
噛み付かれた。怒ったら逆に唸られた。
唖然としてたらまたガリガリやられた。
今度はなんとか元のとこに戻した

それからちょっとその場を離れていたんだけど、戻ってきたら犬が仏間の隅に座ってた。
顔を壁側にむけてて、私からは背中しか見えない状態。

様子を見に近づいたら、
犬が泣いてた

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インフルエンザが治ったかどうかを“確認”するための受診は非合理的

 では、インフルエンザが治ったかどうかを迅速検査で確認する意味があるでしょうか?この場合、受診する患者が知りたいことは「家族や同僚、クラスメートなど周りの人にインフルエンザをうつす可能性が残っているかどうか」だと思います。残念ながら、迅速検査が「陰性」であった時に周りの人への感染性がないと言ってよいかどうかは、十分には分かっておりません。しかしながら、そもそもインフルエンザの患者でも迅速検査がしばしば陰性となることを考えると、周りへの感染性を確認する目的でこの検査を用いることは妥当ではないと考えます。

 新型インフルエンザの流行時にもこのような誤った受診がしばしばみられたために文部科学省は「各都道府県・指定都市教育委員会等宛 新型インフルエンザに関する対応について(第17報)」でこのような理由での受診を勧めないように通達を出しています。

 近年、冬に軽いカゼ症状のある患者が、インフルエンザかどうかを確認するために病院を受診する(あるいは学校や雇用主がそれを推奨する)という場面に、少なからず遭遇します。しかしこれは、ここまで述べましたように、合理的ではありません。

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 ――欧米のほうが、芸術活動をする環境としては、日本より優れている、と。

 「そうは言いませんが、欧米には、美術館の学芸員らの人材が豊富で、作品をきちんと評価し、価値付けできるメソッドがある。審美眼を備えて信頼するに足るアート市場もある。意地悪なジャーナリズムもよく勉強していて対抗しがいがある。一方、日本は美術館はたくさんあるだけ。ジャーナリズムは印象批評に偏っており、マーケットを蔑視している。オークション会社にしても、贋作(がんさく)をカタログに載せていたりする」

 「日本の場合、教育に目を向けても、美術大学は無根拠な自由ばかりを尊重して、学生に何らの方向性も示さない。芸術には鍛錬や修業が必要なのに、その指導もできない。少子化や国立大学の法人化で、学生がお客さんになってしまい、教師は学生に迎合している。お陰で、あいさつさえまともにできず、独りよがりの稚拙な作品しかつくれない学生ばかりが世に送り出される。先鋭的なものは何も生まれてこない。だから、世界に出ていって通用する芸術家が日本にはほとんどいないんです」

 ――それでも、日本で独自に発展を遂げたものもあるでしょう。たとえば、マンガやアニメとか。

 「第2次世界大戦でアメリカに原爆を投下され敗戦した日本は、国家としての主体性を持たないまま、アメリカ依存のもとで、平和な日常を送ることができた。そんな状況の中から生まれてきたのがサブカルチャーやオタク文化なんです。あだ花のような文化です」

 「あだ花を大輪に育てるには仕組みが必要なのに、そこへの興味も無いし、労力も惜しむ。僕は世界でどうやってトップを取るかに集中しています。日本人はゴルフでもテニスでも世界一を取れない。なぜか。国内でそこそこ楽してやっていけるから、安心しちゃっている。地方自治体が街おこしにアートを利用するから、アーティストも結構楽にやっていけるので、海外に目が向かないし、無根拠にもの作りを推奨しすぎる。ぬるい」

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" 私事になりますが、一昨年末に母親が入院し、半年あまりの闘病の後、介護施設に入所しています。そのため、それまでほとんど自分のこととして意識してこなかった医療・介護の制度とじかに向き合うことになりました。

 印象深かったのは、医療の充実ぶりです。もちろん地域差などもあり、一部では「医療崩壊」などと言われる実情もある中で、一概に言えることではないのでしょうが、母が入院した公立の病院は、実家とは別世界のような、温度管理なども行き届いた清潔な病室で、入院当初の救急病棟では二十四時間心電図などのデータがとられ、必要と思われる治療手段が矢継ぎ早に施されました。そして、危険な状態を脱することができました。

 その結果として、入院一ヶ月後に来た請求書の一番上には七桁の金額が記されており、目を疑いましたが、そのほとんどが保険でカバーされ、末尾に記された実際の支払額は、何とか支払可能な、十万円に満たない額でした。私たちのような資産のない家の者でも最先端の医療の恩恵に浴すことができる保険制度のありがたさ、すばらしさを身にしみて感じました。

 その一方で、これから高齢者が増えるばかりであることを考えると、このような現状は果たして維持可能なのか、強い危惧を覚えたのも確かです。医療を支えているのは、どのような患者に対しても最善を尽くそうとする医師・看護師など医療スタッフの皆さんの志ですが、その裏打ちとなっているのは、医療費が保険でカバーされるという事実にほかなりません。その前提が崩れてしまえば、患者の資力を確認しなければ費用のかかる医療行為は実行できないことになります。"
"病院の壁になぜしっくいがよくないか
[しっくいには]気孔が多数あり、病人の発散物をそこから吸い込んでしまうのである。しっくい壁が出来上がったばかりだとすると、病室中の空気をしっくいが掃除してしまうようなかたちになる。が、やがてその壁は不潔物の飽和状態に達する。時には細かい植物がその上に現れるが、かき落として顕微鏡でそれと認めうるし、化学的にも検出できる植物である。病室の壁と天井がここまで汚染されると、そこにはいわゆる病院病が非常に発生しやすい。"
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開高健の言葉を思い出す。


「一旦知ってしまえば、知らなかった時には戻れない。
本にせよ、スーツにせよ、シガーにせよ、酒にせよ、
別に知らなくても生きてはいける。
でも知ってしまえば、それなしの人生など耐え難くなる。
つまり知識や経験は人生に悲しみも もたらす。
より多くを、より良きものを、よりスリリングなことを
知ってしまったがために、当たり前の日常に感動できなくなる。
それでも、知らない平穏よりも知る悲しみのある人生の方が高級だ。」

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村田:面接に来ている人に、「うちの会社落ちたらどうするの?」という質問をよくするんです。そうすると、「来年もう一回来ます」という人がたまにいるんです。そこで更に、「じゃあ、あなたは何をやりたいの?」と聞くと、「アニメーターになりたい」ってその人は言うんですね。アニメーターになりたいんだったら、うちには落ちたんだから、とりあえず別の会社でアニメーターになったらいいじゃん、って思うんですけれど。ガイナックスに入ることが目的になっている人がたまにいるんですが、そうじゃないでしょ。自分の好きだったアニメの会社に入りたいとか、好きなアニメーターのいるところからスタートしたい気持ちは分かるんだけど。とりあえずアニメーターになることが大切でしょ。で、そこからがスタートでしょ、って思います。
どうしてもガイナックスでなきゃダメなんですという人は逆に断っちゃいますね。

今石:そこをゴールにされてもしょうがないですよね。

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"クイズ番組の参加者が「拷問者」になるという心理学的実験が、フランスのテレビで行われた。番組参加者たちは、男性が叫び出すまで電気ショックを与え、さらに死んだようにぐったりするまでくり返し電気ショックを与え続けた。

 このテレビ番組「死のゲーム(The Game of Death)」は、ごくふつうのクイズ番組と同じ体裁を整えている。歓声を上げる観客とグラマラスな有名女性司会者が、スタジオのきらびやかな照明の下に参加者を招待する。

 実はこの番組は、テレビが人びとをどれほど残虐にさせることができるかを調べる心理学の実験として行われたもの。クイズ挑戦者たちにはそのことが知らされず、実験の結果はナチス・ドイツの残虐さと思わず比較するようなものとなった。

 このドキュメンタリー番組を制作したクリストフ・ニック(Christophe Nick)氏は、番組司会者の加虐的な命令に「番組参加者の81%が従ったことに驚かされた」と述べた。番組は、17日に国営フランス2(France 2)チャンネルで放送される。

「(参加者は)命令に背く準備ができていなかった」とニック氏は解説する。「彼らはやりたくなかったし、権威者に止めるべきだと訴えようとした。けれどもそれができなかった」

■クイズ番組として募集

 ニック氏と心理学者らは、志願者80人を集め、新番組のパイロット版(試作版)への出演と説明。番組の内容は、相手「プレイヤー」に質問をぶつけ、相手が質問に正解できなかったときに最高460ボルトの電流を流して罰を与えるというものだった。

 実はこの相手方の男性は俳優で演技をしていたのだが、観客と参加者は知らされておらず、本物の電気ショックだと信じていた。参加者たちは気が進まない様子だったが、司会者の命令と、スタジオの観客の「処罰せよ!」の合唱に従った。相手方の男性が「放してくれ!」と叫び、また、死んだようにぐったりしても、参加者たちは電気ショックを加えるのを止めなかった。

 ニック氏によると、スタジオを立ち去ったのは80人のうち16人だけで、参加者の約80%は、最大460ボルトの電流で男性に電気ショックを与え続けたという。

■実験の意義は?

 番組後のインタビューで、ある参加者は、祖父母がナチスに迫害されたユダヤ人であるにもかかわらず、自分は番組で拷問行為を続けたと語った。ソフィー(Sophie)さんは、「少女のころからずっと、どうしてナチスはあんなことをしたんだろうと自問自答してきた。どうしてあんな命令に従えるのだろう?と。でもわたし自身がそんな命令に従っていた」と語った。

 また、別の参加者は「相手のことは心配だった」と述べた上で、「けれども同時に、番組を台無しにするのが怖かった」と語った。

 この実験は、米エール大(Yale University)で1960年代に行われた悪名高い実験をモデルに実施された。その実験では、従順な市民が虐殺に関与する過程の分析に、同様の手法が用いられている。

 この番組参加者の心理を操作するような参加者の取り扱いに対しては、懐疑的な意見も表明されている。集団虐殺や全体主義を研究する心理学者で歴史家のジャック・セメラン(Jacques Semelin)氏は、司会者の指示に従うことを義務づける契約書に参加者たちが署名させられていたことを指摘した。また、従順さだけでなく、観客やカメラなどさまざまな要素が影響していると述べた。

 一方、番組制作者のねらいは、テレビによる人心操作の威力を指摘することだったという。ニック氏は、「テレビが権力を乱用することを選んでしまったら、テレビは誰に対してもなんだってすることができる。絶対的に恐ろしい権力なんだ」と語った。"

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